「コロナと過ごした一年間」
K.S
ちょうど1年前。大学の前期の授業がすべてオンラインになることが決まりました。一番楽しむことが出来るであろう、学3回生の春を家で迎えることになりました。
この一年間は皆さんにとっても、そうだろうと思いますが、私にとっても我慢の1年になりました。 特に、緊急事態宣言が初めて出されたあの二か月間。私は生まれて初めて、教会に通うことが出来なくなりました。学校の友達にも会えなくなりました。外を出るにも、人目を気にしながら出るようになりました。バイトも制限され、決まっていた好きなアイドルのコンサートも中止になり、慣れないオンライン授業を受ける日々が続きました。
私は生まれてから今まで長い間教会から離れたことがありませんでした。中学生の時は日曜日に部活があるときも、9時からの中高生科の礼拝を受けてから行っていましたし、旅行の日程が日曜日にかぶってしまった際もキリスト教信者ではない友人を引き連れて、現地の教会に行くことが当たり前だった私が、初めて2か月もの間、教会へ行くことがありませんでした。
正直「ここまでしないといけないのか。」「いつまでこの状況が続くのか。」と思うことも少なくなかったです。聖書には「神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。」(「コリント人への手紙 第一」10章13節)」という言葉があります。確かに時間をかければ、どのようなことも乗り越えられるかもしれません。26年前に起こった阪神淡路大震災も、10年前に起こった東日本大震災も、まだすべてを乗り越えたわけではありませんが、人々は支えあいながら日々を過ごしてきました。
しかし、今回の試練は人と人との繋がりを断ち切るようなものです。友人と会うことが悪だとされ、頑張って闘ってくださっている医療従事者の方達に対して心無い言葉が投げつけられ、罹りたくて罹ったわけではないのに、罹患された人の中には酷い迫害を受けた人もいます。
イエス様もただみんなが天の国に行けるよう導こうとしただけなのに、それを邪魔だと思う人々によって迫害を受けました。その時、イエス様はどう思われたのでしょうか。「これは天の父から与えられた使命だから仕方がない」。イエス様は私たちのために命を捧げてくれました。そんなイエス様だから、迫害に対してもただの悪だと思わず、試練だと思い、その壁にうち向かってくれました。
ですが人間は強くない、ということが今回のことでまた露呈されたと思います。支え合わなければならない時に、支え合うことができない弱さ。私たちはそれを深く反省しなければならないと思っています。
この一年間は私にとって、ある意味重要で大切な一年になったと思います。改めて、教会に通うことの大切さや、有難さを感じることが出来ましたし、皆さんと讃美歌を歌うことがどれだけ楽しかったかを、改めて感じることが出来ました。また、私生活でも人と会うことの大切さを思い知り、今まであまり連絡を取っていなかった友人とも連絡を取り合うようになった良い機会でもありました。
ただ、まだまだ予断は許せない状況ですし、何よりも今この時も一生懸命戦ってくれている人がいます。皆様の健康と、この時が出来るだけ早く終わることをお祈りしています。