「一人一人は、かけがえのない人」 K.N.
WHO(世界保健機構)が、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)宣言をしたのが、2020年3月11日。
日本で最初に緊急事態宣言が出されたのが、2020年4月7日。その直後から、私たちの行動形態が大きく変わってしまいました。いわゆる「コロナ禍」が始まり、これまでの日常が変わっていくことになりました。
変化した日常の中で、気づいたこと、気づかされたことなどを、思いつくままに書いてみることにしました。
何といっても一番重く、身につまされるのが連日報道される、新型コロナウイルス感染による死者数です。日本全国では1日、数人、数十人、百数十人など、数字として表されています。数人、数十人、百数十人の方々、お一人お一人が、かけがえのない人々であること、又それぞれの方の人生と生きざまがあり、人々とのつながりがあったことを思わざるを得ません。
聖書の中にイエスの、たとえ話しとして「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで探し回らないだろうか。」(ルカによる福音書:5章4節)と記されています。
もちろん、このたとえ話しは、九十九匹をないがしろにしてでも、一匹を大切にしなさいということではなく、見失った一匹が私たち一人一人であるとすれば、その一人一人がイエス様にとって、何物にも変えられない、愛すべき存在であることの教えだと思っています。
このイエス様の教えに通じるものとして目に見える形で、作り出されているものがあります。それは、米国ワシントンのホワイトハウス近くにある公園緑地、ナショナルモールに建てられている、米国で新型コロナウイルスによって天に召された人たちを追悼する、約67万本の「白い旗」ではないかと思っています。
この「白い旗」には天に召された方ゆかりの人が、メッセージを書き込めるようになっているようです。
旗の一つには「お父さん、家族に囲まれた最期でなくてごめんね。亡くなる前に『愛してる』と伝えられなくてごめんね」とのメッセージが書かれてあったそうです。
私は「コロナ禍」で人との接触、付き合いが少なくなった分だけ、全国紙の新聞を丁寧に読む習慣がつき、特にコロナに感染、あるいは天に召された方、お一人一人を報道している記事は、注意深く読むようにしています。そこから、その人々がかけがえのない人々であり、愛すべき人々であったことを想い巡らせています。
また「コロナ禍」で心配になるのが、外出が少なくなった分だけ、運動不足が気になるところです。
聖書の御言葉に「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなされず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙Ⅰ:10章13節)とあることに、励まされチャレンジしたのが、自宅から塚口教会までのウオーキング。教会の周りを一周して自宅に帰るという、往復約1時間のコース。歩き始めたのが春の終わりで、真夏と共に熱中症が気になりだして、あえなくアウトになりました。
そこで発想の転換。自宅の比較的急な12段の階段。これって、1日に10回往復すると片道120段の階段を上り降りすることになり、結構な運動ではないかと、気づかされ、気づいてからは2階に上がる用事が苦にならなくなりました。
思いつくままに書き綴ってしまいましたが、1日も早く「コロナ禍」でない、これまでの日常が戻ってくることを祈りつつ、医療従事者の皆様の献身的な、お働きに感謝です。