痛み、注射、祈り Y.N
「痛み」にどう対処されていますか?「痛み」には身体的なもの精神的なものがあると思います。
私は、身体的な「痛み」があり約1ヶ月前に26本の注射を打ちました。
よく芸能人が美容整形で、シワを隠したり肌のハリをだしたりするのに使用される、ボトックス注射です。私に使用されたのは別名ゼオマイン(A型ボツリヌス製剤)です。私の場合は美容整形が目的ではありません。私は約15年前、脳の手術をおこない右半身麻痺になりました。麻痺側の様々な部位の筋肉が、日常的な筋緊張の影響で凝り固まり、痙縮してしまいます。また、痙縮や筋緊張に伴う可動域の低下や、痛み、痺れが日常的にあります。
それらに対して、施術の約1週間前に、担当のPT(理学療法士)とOT(作業療法士)が30分程度の時間で現状の確認をして、注射を打つ部位を決めます。施術当日は、病院の担当者がエコーで筋肉を画面に造影し、「先生ここ1センチの場所です。」とか言いながら首、肩、足の指、肩甲挙筋、肘臀筋、手首、手指、足首、等それぞれの一週間前に確認した部位の筋肉に、ゼオマインを注入していきます。ゼオマインを筋肉の各部位に直接注入することで、一時的に痙縮を緩めて状態の悪化を軽減させ、少しでも日常生活の身体的ストレスを減らすことが狙いで施術を受けています。ゼオマインは即効性が有り注射を打つと直ぐに緩み始めます。施術後は3日程度入院してなじませるためにひたすら筋肉を動かします。確かに1ヶ月程度は「痛み」が少なくなります。この内容を約3ヶ月に一度おこなっています。長々と書きましたが、いまのところ痙縮からくる身体の「痛み」にはゼオマイン注射で対処できています。
身体的または精神的な「痛み」は、突き詰めると極めて個人的な体験です。この「痛み」というものは、万人共通の感覚で有りながら、その捉え方や感じ方は多種多様です。前述した私の「痛み」とその対処方法も極めて個人的な出来事です。昔読んだ本に書いていたのですが、「『痛み』に苦しんでいる人への対処法として、必ずしも傾聴や共感が有効ではない」とありました。私は、この内容に思わず首肯しました。「痛み」を感じている本人と全く同じ「痛み」を、本人以外に共有することは極めて困難で不可能だと思います。しかし、「痛み」に関しては、この「共感の不可能性」こそが「共感」ではないでしょうか。
さて、キリスト教では「痛み」について覚えて祈る事ができます。これも「共感の不可能性の共感」ではないでしょうか。以前教会の方の朝の家庭礼拝に同席する機会がありました。そこで教会の方お一人おひとりを覚えて祈られる姿を目の当たりにして感動しました。
自分自身の「痛み・苦しみ」、身近な方の「痛み・苦しみ」、社会の中にある「痛み・苦しみ」を覚えて祈ります。そして、イエス・キリストの負われた「痛み・苦しみ」を覚えて祈ります。このことが直接的に個人的な「痛み」を取り除くことは困難かもしれません。しかしこのことが新たな「感謝・平安・喜び」を生むと信じて今日も祈ります。