私の信仰 K.K
私は韓国で生まれて1995年に日本に来ました。日本に来て27年が過ぎました。日本での生活が韓国より長いです。
私の韓国での信仰生活は日曜日には起きて教会に行き礼拝を捧げて教会の知り合いと少しの会話をして帰る、今考えて見れば生ぬるい信仰生活を送っていました。
日本に来ても教会は通い続けました。
この塚口教会には15年前から通い始めました。塚口教会の前は韓国人の牧師先生がいる教会に通いました。信徒数は少なかったのですが祈りを持って頑張って信仰生活を送りました。そこで主人も洗礼を受けました。娘は生まれて2週間で幼児洗礼を受けました。娘の成長と共に、日本語の通訳を受けながら信仰生活を送る主人と娘を見ると一つの決断をしなければなりませんでした。その時、隣に住んでいた森井さんから塚口教会を紹介されました。私にとって教会を移るというのは大きな決断でした。通っている教会は遠くて、日本語の通訳が原因で主人の信仰は止まっているし、娘はいつも1人でいました。お祈りをしながら教会を移ることを決めて、塚口教会に来ました。最初は戸惑いもたくさんありましたが、娘は子供礼拝を楽しく捧げました。また主人も教会に行って御言葉を聞くようになりました。
少し時間が経ち山崎牧師先生から伝道委員になりませんかというお話をいただきました。私は信仰生活を送りながら決めた事が一つあります。牧師先生から言われた言葉には「いいえ」は言わないということでした。伝道委員が何をするかはわからないまま「はい」と返事をしました。毎月第2日曜日の礼拝後に伝道委員会が開かれ、おにぎりを食べながら話し合い、他の伝道委員と交わりを持ちました。より塚口教会の一員になったようでした。それから時間が経ち執事にもなり神様の体である教会の事に接する機会が増えました。そして今年は長老に選ばれました。
今までの信仰生活は神様が共におられたのでここまでくることが出来ました。
信仰は礼拝に出席して御言葉に従って神様と交わりを持つことにより成長します。またお祈りで神様に繋がります。
「マタイによる福音書」11:28にはこのように書いてあります。
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
教会の頭であるイエス様は皆さんを待っておられます。私に働いた神様が皆さんにも働いてくださることをお祈りします。