「私の自粛生活」 H.N
大体のところ私は、自粛とか節約とかが好きです。
去年と今年に入ってから新型コロナウイルス感染症で緊急事態宣言が発令され今も予断を許さない状況下です。自粛生活と言われても仕事をしていない年金生活者なので自粛で困ることもなく割と平気で過ごせていると思っています。家に居るだけの普段の生活がすでに自粛に近いので、これ以上どうすればいいのかと思うくらいです。怠け者なので、自粛しているのですという立派な大義名分がついて気分が楽になりました。転入した頃から決まって出かける日曜礼拝と水曜日の聖書研究祈祷会の集まり。今では礼拝のユーチューブ配信やオンライン教会を心待ちにしている生活、これには自分でもびっくりです。孫関係の外出があるので数少ない友だちとも時間が合わず、めったに会うこともなく1人で行動しています。面倒なので不要不急の外出はしない、教会も近いし、それでは運動不足になりそうなので、わざと遠くまでバスや歩きで日常の買い物に出たり、ウオーキングをしたり少しでも体を動かすように工夫をしています。感染症対策に必要なマスク装着に至っては我が意を得たりです。
マスクは自分の経験として風邪などの飛沫感染予防に効果があるとわかっていても、一般的にはそんなの気休めと思われていましたがコロナ禍でマスクが市民権をえました。 私は呼吸器系が弱く、マスクは必需品でコロナ対策以前から外出にはマスクをしているのですが、そろそろマスクはずしたらと言われて自分でもはずそうかなと考えていた矢先でした。ではずっと続いている自粛生活は自分にどのような影響を与えたのでしょうか?
自粛生活が好きではあるけれど、最近これはどうかなということがありました。
それは、先日電車に乗ったとき塚口から武庫之荘までの僅かひと駅間におこったことです。
マスクをした少し年配の女性に、今何時ですかと声をかけられました。
「9時33分です」
「ああよかった、10時には武庫之荘のどこそこにいかなくてはなりませんの、
私こうみえてシャンソン歌手なんです」(その他なにかを話されたが聞いていない)
「大丈夫です。充分間に合います」と短く答えた私。
と、その女性はしばらく何やら話されましたがコロナ感染症が気になって頷きながらも
聞いていない私。駅が近づいてきてホッとしたとき、女性は急に手を差し出して
「Merci beaucoup Madame,なんたらかんたら」とフランス語で言いながら
握手を求めてこられました。えーこの時期に握手するの?
彼女はずっと手を差し出したまま、その間の3秒4秒が30秒位に感じられました。
コロコロバッグをひきながら電車を降りていく寂しそうな背中を見て、この感じは何?
そう私の心が萎縮している。自粛生活しているつもりが萎縮生活している・・・
携帯のアルコール消毒ジェルも、アルコールの除菌シートも持っている。
後でそっと手を拭けばすむことなのに・・・なぜ握手できなかったのかと自問自答しました。人との会話が億劫になっていることは確かです。み言葉を聞いて聖書を読んでインプットしても全然アウトプットしていない自分に気づきました。母は、「きょうは一日嬉しいの、なんで嬉しそうにしているかわかる?それは看護婦さんにお薬の飲み方がお上手ですね。と褒められたから」と話してくれたことがありました。人は、こんな小さな一言で嬉しくなるのですね。
去年の受洗記念日にいただいたカードです。
「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる。」(申命記30:14)