野に咲く一輪の花 W.N
私は大阪、天王寺区で生まれ、3歳の時に塚口に引っ越してきました。
小学校の通学路に塚口の町会(親和会)の集会場があり、礼拝をされていた様に記憶しています。
塚口教会との関わりは1972年4月に松木治三郎牧師の司式によって結婚式をした時からです。当初はパートナーは広島教会の会員で、私は洗礼を受けていない環境でした。
しかし、いわき市小名浜伝道所で牧師をしているパートナーの叔父に相談したところ、松木牧師と東京の大学の寮でラーメンを食べた仲だと分かり電話して頂き、結婚式をして頂きました。松木先生との面談の条件に、パートナーは籍を移すこと、私は毎月1回は日曜日の礼拝に来ることでした。そして、後に、いわき市小名浜伝道所の叔父から洗礼をうけました。
私の父の実家は古いお醤油屋で仏教でした。そして、父は77歳の時にくも膜下出血で倒れました。その時に、私の希望で集中治療室で松木先生から病床洗礼を授ることができました。3年間植物人間になり平成5年に亡くなりました。
1年後クリスマスに母が洗礼を受けました。
今は塚口教会の霊園で一緒に眠っています。
私は18歳の時から約35年ボーイスカウトのリーダーをしました。そして、良くハイキングやキャンプに行きました。
結婚して聖書を開く様になり、ハイキングで道端に咲く、一輪の花を見て私の大好きな聖書の箇所が出来ました。マタイによる福音書、6章18節から30節「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄いもの達よ。」
この信仰の薄い私が救われたのはこの聖書の箇所と日曜学校のお手伝いでした。私は幼小科、パートナーは中高科と別れていましたが、毎週休む事もなく、聖書を開いてお話を考える時間も出来ました。
又同じ時に私は聖歌隊に入り、クリスマス讃美礼拝に参加し寒い中で阪急塚口駅前で讃美歌のサービス、塚口の会員の家を周り玄関先で讃美サービス、そして我が家にも回って来ていただきました。
6年前に歳を感じ、一時近い教会に転会しました。しかし、コロナ禍で距離とは関係なく、近い教会でも礼拝を守ることができなくなりました。しかし、どこの教会でもオンライン礼拝をされる様になりなりました。そして歳を感じても健康な時は出かけ、体の調子が悪い時はオンライン礼拝が守れるならば母教会である塚口教会に帰りたいと決心しました。
私は、他の教会を経験しました。しかし、1番に感じた事は家族は一つ同じ教会で礼拝を守ることでした。