コロナ禍にリンゴ農家の夢を見た

                          T.M.

 

-------------「長野市信更地区では戦後、養蚕中心の農業からリンゴ栽培へと転換を果たし、寒暖差の大きい気候で育つ高品質の『やまのぶ』ブランドのリンゴは成功を収めたが、近年は生産者の高齢化による離農等で、年々生産量が減少している。赤田の権田袈裟治さんは、戦後間もなくお父様を亡くし十代で家業のリンゴ農家を継いで以来、約 70年に渡って信更のリンゴ栽培を発展させ、今日まで守り抜いてこられた一人で、その高い技術と権田さんのりんごの木は、信更の至宝と言っても過言ではない。 地域おこし協力隊として権田さんの下でリンゴ栽培の研鑽を積めるということは、自分の将来にとってかけがえのない貴重な経験になると考える。任務を通じて権田さんに師事し、そのリンゴ栽培に密着して生産技術を学び、任期中に自身の栽培技術を確立させたい。将来的には独立就農し、信更地区の「やまのぶ」りんご生産を継承したい。

大学卒業後すぐに一般企業に就職し、事務(デスクワーク)中心の仕事に従事した。業務内容は経理(肌着製造工場の総務会計担当)、大学事務(総務・教務・学生支援等)及び病院事務(地域医療連携)であるが、異動や転勤も多く、その中で培った人間関係の構築や調整能力、新規事業の企画立案能力、課題解決能力などを十分活かし、地域おこし協力隊の活動に取組みたい。 自らの任務はもちろん、他の協力隊員との情報交換・交流を深め、スマート農業・果樹DXによる農作業の負担減や経営効率の改善・CA貯蔵・グローバルGAP認証・農業ツーリズム等の共同研究を積極的に行いたい。また、大学時代から趣味で始めた合唱を通じて、地元とのつながりを深める機会を増やしたい。いずれは独立就農して将来的に家族全員の移住を目指したい。一人前のリンゴ農家になるまでに、最低でも10年は必要と考える。自分の農地を持ち、独立して品質の高いリンゴの生産ができる、信更地区の「やまのぶ」りんご生産の担い手として生き、更に次の世代に継承して行くことが、最終的な目標であり、私の現在の夢です。」 --------------

これはちょうど一年前の20233月に作成した応募用紙である。そのころ失業中であった私は、伯母の死を契機に再び水を吸い上げ、小さなつぼみをつけようと、移住・就農を目指し活動を展開していた。信州は幼少の頃、妹と一緒に伯母に連れられ訪れた思い出の地、また高校の山岳部の時にいくつかの山を登り、受洗のきっかけとなる経験をした地でもある。その後、家族にその思いを伝え話し合った結果、関西での就職先を探すこととなり、コロナ禍が少し落ち着いたこともあって、現在の仕事を与えられた。あのまま一人で信州に行っていたら、今頃どうしていただろうか。

この数年の経験によって、これまでの自分は大きく変えられた。私は感謝する心を忘れていた。そして、再び導きを受け、たくさんの方に支えられ、こうして塚口教会に通っている。小さなつぼみをつけることはできるだろうか。それ以前に、許してもらえるだろうか。神の深い愛に、感謝せずにはいられない。