時の縦糸、人の横糸  

                          T.M.(由布院教会)

                              

 由布院に「キリシタン墓群」と言われる所があります。住宅地からさほど離れていない山際、木々が生い茂る、柵も塀もない傾斜地。仏教形式の柱状の墓石のそばに、それとは対照的に、小さな四角い石が幾つか、枯葉と苔に覆われた地表に、埋もれるように顔を出しています。説明には概ね次のように書かれていました。「当地のキリスト教は天正8年(西暦1580年)、由布院の郷士奴留湯左馬介が部下と共に洗礼を受けたことに始まるも、その後徳川時代には禁教となり、厳しい『宗門改め』の結果、キリシタンは終焉を迎えた。しかし、隠れキリシタンになった者も多くいた」。当時、「御恩と奉公」、いざ、主君のためには命も差し出すべしという倫理が支配する封建制度のなか、一人の郷士の心に一体何が起こったのかと思います。

 そんな歴史を持つ由布院に、今から70年余り前、由布院教会が一人の牧師によって開拓伝道されたと聞きました。戦後の混乱のなか、「アメリカとの戦争には負けたが、だからといってアメリカ人のキリスト教を由布院に持ち込むのか」と息巻いていた若者たちをも巻き込む、キリスト教伝道の姿があったことを資料から知りました。厳しい冬の由布院、金鱗湖で浸水による洗礼式を行っていた、牧師と信者の方々の思い。400年余り前に一人の郷士がこの由布院という土地に掘り起こしたキリスト教という泉が、今こうしてまた地表に、キリスト教という時の流れの清水となって流れているかのようです。

 そのような「歴史」を思うことがあったちょうどその時に、最相葉月著『証し―日本のキリスト者―』(角川書店)を読みました。日本のキリスト者は人口の1.5%。著者はマイノリティの存在であるキリスト教が日本の社会の中で、教育や福祉、あるいは風俗・習慣という面でとても大きな役割を果たし、演じていることに不思議を感じ、数千人のクリスチャンにその信仰を問う旅をしたそうです。こうして集められた「証し」を通して、今、日本全国にいる「キリスト者」と呼ばれる人々が、どんな理由で、何がきっかけで、どのように、自分の「キリスト者」としての人生を生きて来たのかが語られています。熱意も勇気も忍耐も行動力も比べ物にならない自分を思い知らされつつ、マイノリティであるはずの日本のキリスト者の「他者と自分への誠実の強さ」のようなものを感じさせられます。

 以前、塚口教会の礼拝説教の中で、「クリスチャンとは矛盾を生きる生き方だ」という趣旨のお話を聞いたことを覚えています。社会的には問われることもない罪を自分の中に認め、死すべき存在であるのに死の向こうを思わざるを得ない生き方。2000年前のパレスチナに生きたイエスという方を、現代を生きる自分のよすがとする生き方。それは私にとってはそうそう容易いことではないのですが、それが2000年の時、旧約時代を含めれば4000年以上の時を超えて、人間が生きる意味についての、人間としてたどるべき真理、道であるとするならば、そのような真理と道を求める群れの、小さな一人として今あることを、由布院という土地に流れるキリスト教という時の中、『証し』に表現される多くのキリスト者の生き方を支えに、喜びとしたいなと私は思います。

 

 「彼らはみな信仰を抱きて死にたり。いまだ約束のものをうけざりしが、遥かにそれをのぞみ見て喜び、地にて旅人また寄留人なるを言いあらわせり」(塚口教会芦屋霊園納骨堂墓碑銘 ヘブル書11−13)」。