全てのことに感謝  J.Y.

 

息子が小学校に入ってから使っている木のオモチャがあります。ひとつずつ少し形が違っている、凸凹のあるブロックのようなもので、色々なパーツを組み合わせて、表示されている形を作ってみよう!という遊びができるものです。初めは2つから組み合わせて、徐々に慣れたら3つ、4つと組み合わせていく遊びです。全部のパーツを使うと立方体にもなり、立方体を作る方法も1つではありません。形が全ていびつなため全て積み上げるのが難しく、途中で崩れてしまうドキドキも楽しめるし、考える力もつくというオモチャです。

このオモチャの遊び方を見ていたら、ふと人間と似ているなと思いました。ひとり一人が違っていて、誰一人として同じ人はいない。見方によれば変わっているとも言えるけれど、どれも味があるとも言える。そしてその凸凹があるのは、他の人の凸凹と組み合わさった時に、一人だけでは作れないような素晴らしい形を生み出すためではないか。人は誰かに与えないと、自分に「ある」ものが解らないから、誰かにアウトプットする・共有することによって「自分ができる」を確認しているのではないかと思うのです。そして自分が難なくできることで誰かに喜んで貰えると、ただ嬉しくて「与えさせてくれて、喜んでくれてありがとう」と喜びの循環が生まれると思うのです。

若かりし頃は、背伸びをして自分ではない何者かになろうとして、自分が頑張って人に与えようとしていたものです。こんなにやってあげたのに感謝してくれないと、不満に思ったこともありました。また、自分さえ我慢すればこの場が丸く収まるからと勝手に我慢して、自分の心の中が丸く収まらないこともありました。相手に頼まれた訳でもないのに。お恥ずかしい話です。

子供が生まれて自分の心が満たされたからなのか、半世紀も生きてきたからかは解りませんが。自分の機嫌に自分で責任を持つようになると、嫌なことがあっても、祈ると嫌なことの奥に秘められた自分の考え違いに気づくようになり、神様はこの事を私に気づきなさいと嫌な出来事を与えてくださったのではないかと感謝するようになりました。自分の凸凹は宝物であって、人の凸凹も宝物。無理せず自分のペースで自分らしく生きることが、神様への恩返しになるのではないかと思っています。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。(Ⅰテサロニケ516)の言葉が、身に染みてありがたく感じられるようになりました。

 

全ての出来事は、自分をより幸せにするために、神様が与えてくださったプレゼントだと思うのです。これからも、感謝を忘れずに神様に従って歩んでいきたいと思っています