知性といのちー韓国時代劇をみて  T.I.                  

               

韓国時代劇に魅せられてだいぶたちます。いまも「ホジュン」や「馬医」などを繰り返しみています。どちらも医師の話です。時代劇ならではの身分制度が厳然としてあり、このことがヒーローたちの、身分を超えた大胆な「患者愛」の言動を際立たせています。これらの時代劇が新鮮なのは、どこまでも患者に寄り添う医師の言動が鮮明に描かれており、しかもそれが医師を俗欲(出世欲や金銭欲)から解放し、自身の救いになるということを伝えようとしている点です。

 かつての身分制度は崩壊しました。立身出世も古くなりました。今は、皆が少しでも上に行きたいとおもうような競争社会です。また今は「偉い」人は「できる」人です。学校でも職場でも「できる人」になることが勧められます。

 知的能力は、いいものです。しかし、恐ろしいものでもあります。本能によって生きる牛や馬と違って人は嘘をつき、他人をだまします。大がかりの詐欺をもします。また科学技術によって作られた現代の大量破壊兵器は恐ろしいものです。それは、人類を何回も殺す力になっています。いまや人類の最大の脅威は人類です。知識は、本当に死への道かもしれません。

 旧約聖書の有名な失楽園の物語が思いだされます。神は、エデンの園の中央に「命の木」と「善悪の知識の木」を生えさせ、最初の人(アダム)に命じました。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」(創世記3:1617)ところが蛇が「決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神のように善悪を知るものになることを、神はご存じなのだ」(創世記3:45)

といって、妻(エバ)を誘惑しました。エバは誘惑に負け、禁断の木の実をアダムにも与え、二人で食べました。すると二人は、目が開け、自分たちが裸であることを知りました。恥のはじまりです。人間は、楽園を追われ、苦難の道をあゆむことになりました。人間は知的生き物になりました。偉くなりました。ところが人間の知性には大きな欠陥がありました。それは、同じ人間である他者を理解する能力、そして自分を知る能力が欠けている点です。それでも人は自分が偉いと思いがちです。そしてこの「傲慢」が他者を理解する障害になります。韓国時代劇の主人公ホジュンもペク・カンヒョンも患者と同じ高さで出会いました。「上から目線」ではありませんでした。

 

 他者を理解するためには、その他者と深くかかわろうとすることが前提だと思います。韓国時代劇の主人公は医師でしたから、他者の命に直接かかわることの多い人たちだったといえるかもしれません。しかし、このことは職業とはあまり関係ありません。イエス様は専門的な医師ではありませんでした。しかし、イエス様は私たちの命をご自分の命に、そして永遠の命の源である神様へとつないでくださいました。私たちの大きな喜びです。