あなたのために祈っています

                     Y.K.

私は、生まれた時からずっと塚口教会の中で育てられてきました。気がつけば、もう52年もの歳月が流れています。幼い頃は両親に連れられて礼拝に出席し、14年前に塚口に住むようになってからは、より身近な存在となり、日々の生活の中に教会があることを感じています。

最近、あらためて心に響いているのは、中高生の頃に教会で出会った仲間たち、そして私たちの成長を見守ってくれていた大人たちの存在です。礼拝を共に守り、讃美歌を歌い、土曜集会やキャンプで楽しく過ごした時間は、私の信仰の土台となりました。その頃に築いた友情は、今も変わらず続いており、大人になった今でも互いに祈り合い、支え合える関係であることを心から感謝しています。

社会人になってからは、仕事の忙しさや転勤、結婚などの生活の変化により、教会に通うことが難しい時期もありました。慣れない土地で新しい教会を探し、こっそり礼拝に出席して帰ってくることもありました。
 そんな中、やっと授かったお腹の中の命を自分の命と引き換えに諦める決断しなければならなかった出来事は、私にとって人生の中でも最もつらく悲しい経験でした。祈っても祈っても暗闇から抜け出せないような気持ちになりましたが、それでも、神さまが必ずそばにいてくださると信じることができたのは、家族だけでなく教会の友人たちの祈りがあったからです。「あなたのために祈っているよ」という言葉を聞いたとき、神さまに覚えられていることを実感し、祈りによってつながる関係が、私の信仰を支えてくれていると実感しました。

今、親として願うことは、私の娘にも同じように「信仰の仲間」を持ってほしいということです。娘はミッションスクールに通っており、「毎日学校で礼拝があるから」と教会の礼拝にはなかなか足を運びたがりません。もどかしさを感じることもありますが、私自身が中高生の頃に出会った仲間が今も人生の支えになっていることを思うと、娘にもそうした友との出会いが与えられるようにと、祈らずにはいられません。

「一人より二人の方が幸せだ。ともに労苦すれば、彼らには幸せな報いがある。たとえ一人が倒れても、もう一人がその友を起こしてくれる。一人は不幸だ。倒れても起こしてくれる友がいない。」                                                                                             (コヘレトの言葉4:9-10)               神さまと私たちの関係は一対一ですが、信仰は一人で守るものではなく、共に歩むものだと私は信じています。

教会には、世代を超えた交わりがあります。年齢や立場を越えて、祈りによってつながる群れがここにあります。私が教会の中で育てられてきたように、娘や若い人たちが教会の中で育ち、信仰の友を得て、互いに祈り合いながら成長していけるよう願っています。

それぞれの理由で教会から離れている友人たち、若い人たちが、また教会に戻ってきてくれることを祈っています。そして、新しく教会に来る人たちが、ここで信仰の友を得て歩んでいけるように。たとえ教会から離れる時期があったとしても、神さまは決して見放されず、教会はいつでも帰ってこられる場所として開かれています。

 

今度は、私自身が友のために祈り、また自分の娘のために祈ります。かつて私が祈られて支えられてきたように、今度は私が祈る者になりたいです。祈りのつながりが次の世代へと受け継がれ、神さまの家族として共に歩む喜びが広がっていくことを信じています。娘が信仰の友と出会い、神さまの愛の中で成長していけるように。そして、教会の中で祈り合う関係が、これからも世代を越えて築かれていくように。