私を包み込んだ風
Y.Y.
私がはじめて母に連れられ塚口教会に来たのは幼稚園の頃です。鐘が鳴ると会堂の扉の向こうに母が入り、お昼前になると、笑顔で幼児科にいる私を迎えに来ました。いつも、あの扉の向こうで何をしているのだろうと思っていました。
私の家族にクリスチャンは母だけでした。小中高がミッションスクールではなかったので教会に通っている友人も無く、日曜日はお留守番をして、ピアノを練習したり、宿題をしたりして過ごしました。
そのように教会から離れていた私もパイプオルガン設置を感謝するコンサートを聴く機会を与えられ、その暖かく力強い音色に心震わされました。
高校生活の終わる大学受験発表の前、落ち着かない気持ちでいた私は、母に誘われて再び塚口教会に行ってみることにしました。
開け放された扉の中に入ると、かつて心を震わされたパイプオルガンの音色が、まるで風が吹くように私を包み、居心地の良さを感じました。大学の音楽学部ピアノ専攻に無事合格した後も、毎週日曜日になると礼拝に出席して、聖歌隊に入り神さまを賛美する喜びを実感し、通いはじめて半年でしたがクリスマスに受洗しました。
何もわからないままに受洗した私がキリスト者として変えられたと感じた時を具体的に述べることは難しいですが、ピアニスト、教会のオルガニスト、母親として過ごす中で、詩篇23篇4節「死の影の谷を行くときも 災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭。あなたの杖 それが私を力つける」のみことばに何度も力づけられました。
私は、昨年長い信仰生活を送った母の死に向き合うまで、死についてあまり深く考えることなく過ごしていました。膵臓癌が肺に転移していることがわかってから四日で意識がなくなり、一ヶ月後に苦しむことなく安らかな眠りにつきました。
母が元気であると疑わなかった私は、忙しいことを理由に母の孤独や暮らしにくい状況を理解していなかったことを悔やみました。
しかし母が晩年に、
「復活の主の永遠の命に生かされていることを喜び、希望を与えられている」そして、「私がその1人に数えられていることを信じて、戴いている永遠の命を歩みたい」
と証を残しており、最期まで希望を与えられていたことに私は救われました。
今年のクリスマスに受洗40年目を迎える私は、母の死を経て、復活の主の永遠の命に生かされていることを喜び、希望を与えられていることに気付かされ、母の証のように、私もその一人に数えられていることを信じ、戴いている永遠の命を歩みたいと思うようになりました。私自身が変えられたような気がします。
開かれた扉の向こう側に入った私を包み込む風を感じることができたこと、今も教会に繋がり、みことばを聞いていること、あの日心震わされたパイプオルガンを奏楽者として弾かせていただいていること、そしてゆっくりとキリスト者として変えられていることは、本当に不思議な力で導かれており、神さまのご計画だと思わざるを得ません。
神さまから戴いた言い尽くし得ないめぐみに感謝して今後も歩みたいと思います。
