弟の思い出

                         K.I.

 

 最近の出来事で、心に響くことがありましたのでお話ししたいと思います。

 私の弟は私が7歳の時に生まれました。まもなく両親の愛情と願いにより堺教会の斎藤敏夫牧師から小児洗礼を授けていただきました。

 子供時代は大阪に住んでいたので、堺教会の日曜学校には遠くて通えず、中学生になってやっと一人で教会学校に通うようになりました。けれども大学へ進学し、就職すると、次第に教会から離れるようになりました。結婚して転勤も多くなり、仙台の街がとても気に入って、定年後は両親のいる大阪に帰ってくるように私が勧めても、「仙台へ骨を埋めるんや」と云って、仙台市民合唱団に入って音楽会に出演したり、テレビに仙台代表として出演したり、テニスやゴルフと忙しく楽しんでいました。両親は高齢になっていましたが、はるばる息子の新居を訪ねて、幸せな弟一家の様子を喜んでいました。けれども私の実家では弟だけが信仰告白をまだしていなくて、両親はいつも気にかけて毎日祈っていました。兄や私も事あるごとに祈ったり、母の日には旧讃美歌510番の楽譜を送ったりしていました。弟の所属している合唱団に熱心なクリスチャン御夫妻がおられて、ある時、仙台東一番丁教会の聖歌隊でバリトンのパートが足りないので助けてほしいと頼まれたので行くことにしたよと私に連絡してきました。これはもう神様が弟を捕らえて下さったのだと思って胸が高鳴りました。そして一年後のイースターに信仰告白をしてくれました。すぐに駆け付けたいところでしたがはるか尼崎の地から感謝と祝福のお祈りを捧げました。彼は71歳になっていました。神さまはこの年になるまでずっと弟を見守っていて下さったのだと思いますと、神さまの御計画のすばらしさに感動し感謝で胸が一杯になりました。教会生活にも慣れて5年目に教会の長老に選出されたと喜んで知らせてくれました。4月からは教会のために懸命に働くぞと張り切っていましたが、7月に膵臓に癌が見つかり、12月初めにお見舞いに駆けつけた時は、意外に明かるく元気そうに見えましたが、それが弟との最後となりました。その時弟は「こんな状態になってしまったけれど、神様と出会えて本当によかった、常に側にいて下さるから何の心配も不安もないないわ、ありがたいわ」と笑っていたのが忘れられません。

 

 葬儀式では瀬谷牧師が放蕩息子のお説教をして下さいました。放蕩はしたことのない弟でしたが、最後に神様の元に戻って来たことを示して下さったのだと思いました。教会員となってまだ日も浅いのに大勢の方々が参列して下さり、長年の友人だった方の心温まるスピーチに出席者から思わず笑いがこぼれるなど明るく爽やかな葬儀式をあげて頂きました。弟の生涯を振り返る時、好きな事を自由に楽しみながら仕事の面でも交友関係でも多くの人に恵まれ、家族に愛され神様に愛された幸せな人生でしたが、私は主の御業のはかり知れない奥深さを思わないではいられません。私も残り少くなった人生を「神様の賜物」として頂きながら、愛と感謝の日々を過ごしていきたいと願っています。