神様との出合い
H.O.
私は、信仰といっても、子どもが生まれたら、お宮参りと神社へ、ひとが亡くなれば、お寺で、というような家庭で育ちました。実家の周辺には、教会はありませんでした。
もう10年以上前に、「日曜日に、教会へ行かれる方の援助の仕事があるんだけど、行って貰えないか」と話があり、前任者と共に見学させて頂いたのが、はじめてでした。
子ども達は、カトリックの幼稚園、娘は高校へと通いました。時折り参観日に、シスターのお話を聞く位でした。息子は胸に手を当てて、「ここに神様がいる」と言っていたのを思い出しました。
見学させていただいた方が、I.K.さんでした。毎週、日曜日に御自宅へ行き教会の方が、お迎えに来て下さり教会へ行きました。
教会内では、聖書、讃美歌のページを開けて渡すのですが、私はよく間違えていました。いつも無言で、ページを開け直し、静かに、俯いて祈っておられました。何が、I.K.さんを動かしているのか、不思議でした。I.K.さんが、私に信仰の話しをされる事はありませんでした。I.K.さんの体調の変化もあり、後任者と、交代しました。その後、教会に行く事はありませんでした。
2021年3月に、息子が病いで倒れ、主人と私は、治療室の前で、容態が変わる度に、先生から呼ばれる状態が二日程続きました。
心の中で「神様、息子を助けて下さい」と祈りました。
以前に行っていた、塚口教会で、祈りたいと思う様になりました。
コロナ禍であったのですが、友達が、面会時間を過ぎても来て下さいましたが、息子は、こちらからの呼びかけに、一度も目を開けることなく亡くなりました。葬儀の折りに、デービス・ジム宣教師、香世さん(姪っ子夫婦)から頂いた言葉が心に残りました。「ヨハネによる福音書3章16節」と「マタイによる福音書11章28節」でした。心に残りましたが、「ヨハネ」は覚えていたのですが何章何節かわからず、後日、「ヨハネによる福音書3章16節」である事がわかり、「聖書の学びをしてみませんか」と誘われました。
毎週、曜日を決めて、オンラインで、1時間くらい学びの時間を持ち、聖書も読みました。14カ月かかりました。
私の罪は許されている? 神様に、呼ばれている。I.K.さんと教会に行っていた頃の不思議が蘇る思いでした。
2022年に、「信仰の証し」、「浸礼」にて、洗礼を受けました。
教会に通いたいと思い、姪っ子が紹介してくれた教会へ行きましたが、ちょっと違和感があり、すぐに行かなくなり、塚口教会を訪問し、村岡牧師先生に事情を話し許可を頂き、通い始めました。
私が洗礼を受けた姪っ子たちの「ハウスチャーチ」は今は活動していません。
私に色々な出来事があった様に、姪っ子も闘病生活に入ってしまい、週一回のオンラインでの学びも出来なくなり、塚口教会への入会を希望しました。
2025年12月に、入会式をして頂きました。皆様からも入会を許され、祝福して頂きました。姪っ子の闘病生活は続いています。痛みのある時は、ご主人と二人で祈っているとのこと、私も姪っ子の身体を聖霊で満し、彼女の血潮をイエス様の血潮で満たして下さいと祈ります。
マタイによる福音書七章七節から一二節のように、訪問先の玄関前で、「私に力を与えて下さい」と祈ります。これも自分伝道だと思える様になりました。
